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发表于 2008-1-7 23:33
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鹿儿岛笃姬官网更新笃姬列传
有说明题材和演员的选用,以及故事内容
第4回 ―ドラマのみどころについて―
篤姫は天保6年(1835)年、島津家の分家の長女として鹿児島に生まれ、明治16(1883)年、徳川家の元御台所として東京に没しました。48年の間江戸時代と明治時代、島津家と徳川家と二つの時代と家をまたいで、ひたむきに生きた人生でした。御台所として、嫁として、姑として、見事に女子の本懐を遂げたといってよいでしょう。
薩摩藩の島津家から、徳川13代将軍・家定の正室となった天璋院篤姫の波瀾に満ちた人生を描くのが今回の大河ドラマです。ドラマの題名はヒロインの名から「篤姫」、宮尾登美子さんの名作「天璋院篤姫」を原作に、田渕久美子さんが脚本を書きました。原作も脚本も主役も女性という、これほど女性づくしのドラマも珍しいでしょう。その時代考証を私が担当しています。
本土最南端の薩摩の地で、桜島の噴煙を見ながら、錦江湾で遊ぶ純朴で利発な一少女が、いきなり将軍の正室になり、三千人がいる大奥を束ねるという、ただならぬ人生を歩み始めるのです。しかも藩主・島津斉彬からは、将軍の世継ぎに大奥が嫌う水戸家出身の一橋慶喜を推すようにという密命を帯びていました。
しかしこの世継ぎ問題が思うにまかせないまま、たった1年半で夫に死なれ、斉彬も没し、密命と違う後継将軍・家茂に嫁いできた孝明天皇の妹・和宮との確執に悩みながら、故国薩摩の軍に攻められる徳川家を守ろうとしました。
その間、やはり実家である天皇家と敵対することになってしまった嫁・和宮(静寛院)とも心を通わす仲となり、共通の敵となってしまった実家(薩摩・官軍)に対して、二人とも必死に徳川家を守ろうとします。
その結果、江戸城の無血開城に成功し、和宮はいったん京都へ帰りますが、5年後には東京に戻ります。その和宮とやっと和やかな日々を送れるようになった篤姫は、ついに一度も薩摩に帰ることなく、生き延びた徳川家の血筋を守って、後継者・16代家達を立派に育てることに余生を捧げたのです。
篤姫とはいったい何をした人なのかと言えば、将軍の世継ぎ問題と、江戸城の無血開城、そして徳川家の血筋を守り、後継者を育てたことです。
明治10年、篤姫は16歳となった家達をイギリス留学に送り出します。やっと肩の荷が降りた篤姫でしたが、二つの不幸が篤姫を襲います。
最愛の嫁・和宮が31歳で療養中の伊豆で亡くなったこと、そして故郷鹿児島が、西南戦争で焦土と化し、西郷隆盛が自決したことでした。
42歳の篤姫は二度と鹿児島に帰れないことを覚悟し、明治13年、生涯で二度目の旅に出ます。一度目は嘉永6年鹿児島から江戸への輿入れの旅、二度目は伊豆への追悼の旅です。
3年後の明治16年11月20日、篤姫は家達がロンドン留学中に送った老眼鏡をかけながら、静かに息を引き取りました。
私は12月末上野寛永寺の天璋院と家定のお墓参りをしてまいりました。そこには故郷鹿児島で好物であった枇杷の木が植えられていました。
私が篤姫に惹かれるのは、愛する故郷である薩摩が、そして皮肉にも婚礼の支度役であった西郷隆盛が官軍を率いて刀を向けてきたとき、旭日の実家よりも落日の婚家を守り通そうとしたその姿勢に、日本人が失ってしまった、そして今の日本人に何よりも必要な「何か」が秘められているのではないか。そう思うからです。
(拙著「篤姫わたくしこと一命にかけ」2008年1月刊グラフ社)
今度のドラマの見どころは、何といっても鹿児島づくしのキャスティングでしょう。
テーマ音楽は吉俣良さん(中央高校卒)、小松帯刀(肝付尚五郎)役が瑛太さん(父親が栗野町)、尚五郎の父親肝付兼善役が榎木孝明さん(菱刈町)、帯刀の養父・小松清猷役が沢村一樹さん(鹿児島市)、大奥の実力者滝山役が稲森いずみさん(鹿児島市)と鹿児島に関係する方が多数出演します。
ドラマのもう一つの見どころは、小松帯刀という新しい薩摩のヒーローが登場することです。宮尾登美子先生の原作には出てこない人物がなぜドラマに登場するのでしょうか。それは、小松(肝付尚五郎)は篤姫と同じ天保6年の生まれで、同じ門閥として鹿児島城下に育ちましたから、尚五郎とお一(篤姫)の交流を通して、篤姫の鹿児島時代の人格形成を描きたかったからです。二人は、囲碁や香聞きなどで心を通わせます。二人の交際にハラハラさせられ、その行末を思わずにはいられません。田渕久美子先生ならではの展開にひきこまれてしまいます。
ドラマの狙いをご紹介しましょう。それは家族のあり方です。篤姫は、今和泉島津家の長女として父・忠剛(長塚京三さん)、母・お幸(樋口可南子さん)の愛情たっぷりの中で育ちました。しかし、島津本家、京都の近衛家、徳川本家と篤姫の家は変わります。篤姫は、それぞれの家で暖かい家族関係をつくろうと必死で努力したのだと思います。佐野元彦チーフ・プロデューサーは、このドラマは篤姫の「家族探し」の物語だと言われました。その点では、宮﨑あおいさん主演の連続テレビ小説「純情きらり」、宮尾登美子先生脚本の「さくら」とも共通するものがあります。
大河ドラマ「篤姫」のさらなる見どころは、人間の役割とは何かを考えさせるところです。篤姫は幼いころ、領地今和泉で飢え死に寸前の百姓を見つけます。侍女菊本(佐々木すみ江さん)に水と食べ物を与えさせます。その時以来、篤姫は食事に手をつけようとしないのです。そのことを父・忠剛に叱責されると、篤姫は「武士は何もしないのになぜ食べることができるのですか?」と反問します。そこで母・お幸は、篤姫を池田湖畔の田んぼ(新永吉でロケ)に連れていき、こう話しかけるのです。
「風には風の役割があるのですよ、お一(かつ)。風が雲を呼び、雲が雨を降らし、田畑を潤し、作物が実ります。人間も同じように、武士には武士の、百姓には百姓の役割があるのです。武士とは百姓のために仕事をしなければならない。その時のために、今お腹をすかしておいてはならないのです。」
それを聞いたお一は、泣きながらおにぎりをほおばります。篤姫がはじめて武士の姫としての覚悟をする場面です。
さらにドラマでは、天保財政改革の立役者調所広郷(平幹二朗さん)に篤姫と肝付尚五郎が会うシーンがあります。調所は父:忠剛の政敵、密貿易やニセ金作りの張本人です。調所は篤姫にその本心を明かします。「私は藩のために生命を捨てます。密貿易やニセ金!それが私の役割なのです。」その言葉通り、調所はその責任を一身に背負い、江戸の芝藩邸で服毒自殺します。[嘉永元(1848)年12月、享年73歳。]
調所の脳裏には、篤姫の言葉がめぐります。「その役割を越えて、ともに生きる道はないのでしょうか?」
調所は篤姫にたずねます。「その道があったら、教えてほしいものです、姫。」
また、大久保利通家と篤姫の交流にも見どころがあります。父・利世(大和田伸也さん)の喜界島流罪、利通(原田泰造さん)の謹慎により収入の道が無くなった大久保家を母・フク(真野響子さん)が女手一つで守っていました。
フクに同情した篤姫は、髪にさしていた高価な簪(かんざし)をあげようとします。するとフクは、お礼を述べながらも「私どもは施(ほどこ)しは受けません」ときっぱりと断ります。
篤姫は、この時、軽輩ながらも武家の誇りと品格を知り、自らを恥じるのです。昔から鹿児島では、「貧(ひん)のしてん、品(ひん)の落とっしゃんな(貧乏しても品格を落としなさんな)」と言うものでした。貧しくても、品格を失わない大久保フクもまた薩摩の女性だと思います。
そのほかにもドラマには見どころがいっぱいです。篤姫は、養父斉彬をどう見ていたのか?フィクションとはいえ、なぜ侍女の菊本(佐々木すみ江さん)は自決したのか?将軍家定は暗愚だったのか?西郷・大久保らはどう描かれるのか?などなどです。
ドラマの舞台は、最終回まで江戸と薩摩です。乞御期待! |
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