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这剧KUSO上瘾了~~~~~
天下一讲座
テレビ太陽で起きた世にもおぞましい連続殺人事件も、僕の名推理によって、ついに解決の日を迎えた。しかし、事件を知る皆さんは疑問に思っていることだろう。なぜ、名探偵の名をほしいままにしている頭脳明晰(かつ容姿端麗かつ神出鬼没かつイケメン)な僕が関わっていながら、解決までにこんなにも時間を要してしまったのか、と。実は、それには知られざる理由があり、その理由には“童唄殺人の掟”が深く関与している。そこで今回は、その童唄殺人に関する掟と、名探偵である僕の苦悩ぶりを講義のテーマとしたい。
今回扱ったような「童唄殺人」は、「見立て殺人」や「数え歌殺人」とも呼ばれ、古くはミステリーの女王アガサ・クリスティが、『マザー・グース』の童謡をテーマに『そして誰もいなくなった』などの名作を世に送り出している。日本でも、子守唄や俳句を背景とするミステリーが数多く生み出され、僕をはじめとする名探偵たちが数々の難事件に挑んできた。
でも、そもそも犯人は、なぜそんな手間のかかることをする必要があるのだろうか? それには一応、「復讐する相手に恐怖を与えるため」とか、「犯行の順番を偽装するため」といったもっともらしい理由がつけられているが、現実感には乏しい。要は、ミステリーの世界だからこそ成立する、作者が用意した見る者をハラハラさせるためのサービスということだろう。
しかし、この手の事件が起きた時、僕ら名探偵はいつも大きな問題にぶちあたってしまう。ミステリーには、「童唄殺人がいったん始まってしまったら、犯人がそれを最後までやり遂げるまで捕まえてはならない」という絶対的な掟が存在する。つまり、名探偵は事件がひと段落するまで、持ち前の推理力を発揮してはならず、指をくわえて犯行の完遂を待っていなければならないのだ。
今回も僕は、この厳しい掟を前に、苦しい立場に追い込まれてしまった。しかも、三代目の社長が作ったというテレビ太陽の童唄は全10番。4番や5番までならまだしも、10番となるとさすがに…。くそっ! 三代目社長のヤツめ! そんなに長いこと指をくわえていたら、僕が“能無しのダメ探偵”に見えてしまうじゃないか! せっかく、僕の活躍が全国ネットのテレビで大々的に取り上げられるはずだったのに、これでは台無しだ! 僕は今回、甘んじてその汚名を受けたが、今後このような悲劇が繰り返されないためにも、「童唄の歌詞は5番までしか作ってはならない」という法律か条例を、早急に作るべきではないだろうか…!?
ともあれ、最後の最後には、いつものように僕が名探偵の実力を発揮して、事件は鮮やかに解決された。「掟は守るべきものであると同時に、破るべきものでもある」…か。今回の事件を通して、僕はまた素晴らしい名言を残してしまった。だから皆さん、この名言に免じて、これ以上テレビ太陽や僕の探偵事務所あてに、抗議のメールやFAXやお手紙やバナナの皮や生ゴミを送るのを、いい加減やめてもらえないだろうか…!? |
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